せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

奈良の東大寺を訪ねて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、奈良の東大寺を訪ねて歩いてみます。

大仏殿

拝観料を払って中門の中へ入ると、大仏殿がそびえます。南大門も大きいのですが、大仏殿はさらなる大きさで、世界最大級の木造建築と知られています。奈良時代の天平寶字2(758)年の創建当時は今よりも大きかったそうですが、二度の兵火で焼失し、現在の建物は江戸時代の宝永6(1709)年に建てられたものです。現在は国宝に指定されています。

奈良の大仏さま

大仏殿の中に入ると、奈良の大仏さまの前に出ました。関西にお住まいの方なら、小中学校の校外学習などで訪れていると思いますが、不思議とそれ以外ではあまり訪れる機会がないのではないでしょうか。

奈良の大仏さまこと「東大寺盧舎那仏像」は奈良時代の天平17(745)年に制作を始め、天平勝宝4(752)年に完成した仏像です。大仏の建立が始まった当時は災害や疫病の流行が多発し、九州では藤原広嗣の乱が発生するなど非常に不安定な時代で、当時の聖武天皇は大仏を建立し仏教の力で社会の安定を図ろうとしました。しかし、巨額の出費を伴う大仏建立で国家財政はひっ迫し、それを補うための増税で庶民の貧困が深刻化。聖武天皇の願いとは裏腹に、律令政治そのものの根幹を揺るがすこととなりました。また、建立当初の大仏は技術が未熟であったためか、ひび割れが多数発生し、後の地震で頭部が落下。そして、二度の兵火による焼損で建立当初のものは台座の一部のみとなってしまいました。

大仏殿の比較模型

堂内には新旧の大仏殿の比較模型がありました。建立当初の大仏殿は現在のものよりも大きかったと言われていますが、模型で比べてみれば一目瞭然で、今よりも随分大きな建物がこの地にあったとは驚きですね。

聖武天皇が大仏建立にこめた思いは叶ったとは言えないと思いますが、先立つ飛鳥や藤原の都と違い、遷都後も奈良が都市であり続けられたのはこの大仏の存在があったからだとも言えるのではないでしょうか。だからこそ、何度壊れ、何度焼けても修復されてきたのでしょう。

中門より大仏殿を眺める

中門より大仏殿を眺めてみました。小中学校の校外学習以来、奈良の大仏さまを訪ねたことがないという方、改めて訪れてみれば新しい発見があるかもしれませんよ。

次回は、三笠山麓を歩いてみたいと思います。

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