せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

西宮の戦争・鳴尾飛行場跡を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回まで甲子園を歩いてきましたが、今回からは武庫川河口付近にあった鳴尾飛行場の跡を歩いてみたいと思います。

鳴尾飛行場の護岸?

初代甲子園阪神パークのあった場所から海を眺めてみました。手前に並んだ岩は甲子園阪神パークの護岸なのでしょうが、そのさらに沖にも似たような岩が並んでいるのが見えました。これは一体…? 古い地図を見て考えると、どうやらこの岩が鳴尾飛行場の護岸の跡のようです。

前回まで歩いてきたように、枝川をせき止めて生まれた土地には住宅地や遊園地、競馬場や競輪場が建ち並び、一大行楽地となりました。しかし、太平洋戦争の激化によりこの地でのんびりとレジャーを楽しむことはできなくなりました。甲子園阪神パークや競馬場などのレジャー施設は戦況が厳しくなってきた昭和18(1943)年に軍に接収され、鳴尾飛行場が建設されました。鳴尾川の対岸にある川崎航空機の試験場も兼ねていて、以前訪れた加古川飛行場と比べ、敷地面積はやや大きかったようなのですが、滑走路は二本だけでX字型に交わっていたようです。

これも護岸?

海岸沿いに歩いていくと、鳴尾川の河口に出ました。河口付近には鳥の棲みかと化している岩場が水面に浮かんでいます。これもコンクリートで、飛行場の護岸の残骸だと言われています。

鳴尾川

鳴尾川をさかのぼっていくと対岸には公団住宅が建ち並んでいました。鳴尾飛行場で試験飛行を行なっていた川崎航空機の工場はこの辺りにあったのですが、今は跡形もありません。

飛行場跡は

鳴尾川沿いから陸地側に歩いていくとこちらも真新しい集合住宅が建ち並んでいました。この辺りも飛行場の敷地になっていたのですが、今や何の痕跡もありません。飛行場はもともとあまり痕跡が残らないうえ、急ごしらえのものだったのでこんなものなのかもしれませんが、もう少し何かあるかもしれません。

というわけで、次回も鳴尾飛行場を求めて歩いてみたいと思います。

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