せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

林崎を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、林崎を歩いてみたいと思います。

林崎漁港を歩いて

林崎漁港の周辺はいかにも漁港といった雰囲気の街並みが続きます。
ただし、休日だったせいか、人影はまばらでした。

漁業の町の雰囲気

街中に入ると入り組んだ道が続きます。通常ならまっすぐな道を作るところだと思うのですが、先ほどの林崎松江海岸駅の近くといい、この入り組み具合は一体どうしたことでしょうか。何か歴史的な背景があるのかと古地図を見てみようとしましたが、私がいつも使っている古地図閲覧サイトではこの辺りは対象外。結局、謎は解けずじまいでした。

宝蔵寺を眺める

歩いていると、気が付けば林崎の町を出ていました。田んぼの向こうに見えるのは、以前、船上城を散策した際に訪れた宝蔵寺です。

山陽電車の高架

北へ向かって歩くと山陽電車の高架に差し掛かりました。この区間も気が付けば高架化から一年が過ぎています。

かつての線路跡は

高架の傍にはかつての線路跡が続いていますが、鉄道施設はすっかり撤去されて更地になっていました。

空爆犠牲者之碑

山陽電車の西新町駅の近くでこんな石碑を見つけました。こちらは「空爆犠牲者之碑」です。川崎航空機の工場があった明石は終戦間近に幾度となく米軍の空襲の被害を受けました。71年前の昭和20(1945)年の6月には市街地西部を中心に大きな被害あり、この地にあった山陽電車の明石車両工場でも多くの従業員が犠牲となりました。この石碑は昭和53(1978)年の終戦の日に建立されたものです。ちなみに、明石車両工場はその後、現在の東二見に移転しました。

この石碑から山陽電車の西新町駅はすぐそこ。古代から近現代まで、何だかとても長く歩いたような気がするのですが、このまま帰途に就くことにしました。

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