せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花屋敷を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて宝塚の花屋敷に日本最初のトロリーバスを求めて歩いてみたいと思います。

新興住宅地を歩く

新花屋敷からさらに先の新興住宅地を歩くことに。新花屋敷にたどり着いたトロリーバスですが、実はこの先、山を越えた先の能勢電鉄多田駅まで延伸の計画がありました。

満願寺町

住宅地を歩いて行くと、満願寺という集落に着きました。多田延伸の第一ステップだったと言われているのがここ満願寺までの延伸と言われています。しかし、開業すらしていませんので、何の痕跡もなくのどかな集落が広がっています。ちなみに、余談になりますが、この満願寺町は川西市に属していて、周囲を宝塚市に囲まれた飛び地になっています。現在はバス路線のある宝塚市の花屋敷方面へのつながりが強い地域ですが、かつては川西市多田の領域だったそうで、そのまま川西市に属するようになったとのこと。豊中や池田などこの辺りにはやけに飛び地が多く、歴史的経緯を調べたりすると何日も寝られなくなってしまいそうです。

日本初のトロリーバスである日本無軌道電車が廃止になった昭和7(1932)年に京都市で初めての都市型のトロリーバスが運行を開始しました。その後、名古屋や大阪、東京など大都市にも次々とトロリーバスが開業し、いずれも戦後のモータリゼーションで廃止されていきましたが、戦前~戦後の都市交通の一翼を担っていくことになりました。その中で、日本初のトロリーバスであった日本無軌道電車は忘れられていくことになりました。

満願寺の山門

ここ満願寺まで来たので、ついでといったら失礼ですが、地名にもなっている満願寺を訪ねることにしました。決して有名ではない寺院ですが、山門の雰囲気からしてなかなかの趣でわくわくしてしまいます。この界隈は由緒あるものの知られざる寺院が多く、歩いていて楽しいエリアです。

由緒によると、満願寺は奈良時代に創建されたとされ、非常に古い歴史をもっています。平安時代には多田に所領をもち武士団を形成した源満仲が帰依したとされ、室町時代にも足利幕府の庇護を受けて発展しました。

満願寺の境内

新緑のトンネルになっている参道を抜けると満願寺の本堂にたどり着きました。現在は小ぢんまりとした山中の古刹ですが、かつては多くの僧坊や塔頭寺院をもつ大寺院だったそうです。何となくですが、以前訪れた太山寺に似た雰囲気を感じるのは同じ密教の寺院だからでしょうか。

満願寺より

満願寺の本堂から参道を振り返ると、むせかえるような新緑の山々が広がっていました。これからしばらく気候のいい季節が続きます。日本の都市交通のパイオニアを築き、そして、あっさりと消えていった日本無軌道電車とこの満願寺の新緑を訪ねて、花屋敷を歩いてみる小旅行はいかがでしょうか。

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