せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花屋敷を歩く(前編)

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新緑の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

トロリーバス

みなさんはトロリーバスという乗り物をご存知でしょうか。 見た目はバスですが、ガソリンエンジンではなく、電車のように架線から電気を取ってモーターで走る乗り物で、東ヨーロッパや中国などの都市でよく見られる乗り物です。日本でも大阪や京都などで導入されましたが、日本の都市には合わなかったのか、通常のバスに取って代わられ、現在は黒部アルペンルートに2路線が残るのみです。写真はチェコ共和国イフラヴァ市のトロリーバスです。どういうわけか、旧共産圏にはトロリーバスが今でも多く走っています。

雲雀丘花屋敷駅

そんな話をしながら到着したのが阪急電車の宝塚線の雲雀丘花屋敷駅です。駅と小さなバスターミナルが一体となっていて、ちょっと昔の郊外の駅の雰囲気が残っています。

花屋敷駅跡

雲雀丘花屋敷という長い駅名からわかるように、かつては「雲雀丘駅」「花屋敷駅」の2駅があったのが昭和36(1961)年に統合されて生まれた駅です。かつての花屋敷駅があったのはこの踏切付近と言われていますが、今は何の痕跡も残っていません。

花屋敷バス停

花屋敷駅跡から程なく、花屋敷バス停にたどり着きました。住宅地の中の何の変哲も無いバス停ですが、実はこのバス停からトロリーバスが走っていました。その名は日本無軌道電車。日本で最初のトロリーバスです。

日本無軌道電車は昭和3(1928)年に花屋敷から山中の温泉地だった新花屋敷までを開業しました。社名の無軌道電車とはトロリーバスの日本語で、現在でもそうですが法律上トロリーバスは路面電車と同じ軌道の扱いとなっています。ただし、日本無軌道電車が開業した当時はトロリーバスの立ち場を定めた法律はなく、なんと乗合自動車に分類されたとのこと。日本初ならではの苦労があったようです。

つつじガ丘

新花屋敷を出ると待ち受けるのは急な坂道。この付近にはつつじガ丘停留所があり、トロリーバスの交換設備があったそうです。なかなかの勾配で心が折れそうになってしまいます。振り返ると大阪平野の街並みと遠く紀伊半島の山並みを望むことができました。日本無軌道電車が開業した頃、既に自動車が一般的に使われていた。にも関わらず特殊なトロリーバスが採用されたのはこの急勾配にあったと言われています。この勾配は電車で登るにはきつすぎ、また、当時の自動車では非力でこの勾配を登ることができなかったそうで、より馬力のあるトロリーバスが採用されたそうです。

この先、日本で最初のトロリーバスが目指したのはどんなところだったのか。次回に続きます。

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