せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

有馬への道・小浜宿を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて有馬街道の宿場町だった宝塚の小浜宿を歩いてみたいと思います。

小浜の街並み

毫摂寺から小浜の街中を歩くことに。右側のうだつのある家は清酒「菊仁」を作る江戸時代からの造酒屋とのこと。

小浜宿資料館

街中にあったのが小浜宿資料館。やはり造酒屋だった山中家の住宅を阪神大震災の後に資料館に改装したものです。庭園が見どころとのことですが、残念ながら、訪問時は休館日でした。以前の近松記念館といい、このところついていません。ちなみに、この山中家の祖先は上月城の戦いで知られる山中鹿之助と言われています。

中世~近世の趣が残る小浜の街ですが、悲しい歴史もありました。有馬温泉への宿場町として栄えた小浜を訪れた人物の中に豊臣秀吉がいました。その秀吉の養子であった豊臣秀次は毫摂寺に宿泊した際に寺の娘の亀姫を見初め、側室としました。小浜局と呼ばれた亀姫ですが、秀吉に実子の秀頼が誕生し、秀次が失脚すると他の妻子や側室とともに京都・三条河原で処刑され、生家の毫摂寺にも火がかけられました。
現在の小浜の街並みは江戸時代に復興され、阪神淡路大震災を乗り切ったものです。

首地蔵

街中の丘には首地蔵なるお地蔵さんがありました。このお地蔵さんの由来はよくわからないそうですが、頭がよくなるとも言われ、受験生に人気とのことです。

首地蔵からの宝塚の眺め

小高い首地蔵の丘からは宝塚の街並みを一望できました。

有馬とともに栄えた宝塚の小浜宿は間もなく桜の季節。ゆっくりと歩いてみると新しい発見があるかもしれません。

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