せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

有馬への道・小浜宿を訪ねて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、有馬街道の宿場町だった宝塚の小浜宿を歩いてみたいと思います。

八ッ橋稲荷神社

小浜宿の南門には八ッ橋稲荷神社なる小さな神社がありました。境内には桜の木々が立ち並んでいます。もう一週間もすれば見ごろになるでしょうか。

毫摂寺

宿場町へ入ると、毫摂寺(ごうしょうじ)なる寺院がありました。どこか姫路の亀山御坊を思わせる雰囲気だと思ったら、それもそのはずで、亀山御坊本徳寺と同じ浄土真宗本願寺派の寺院で「小浜御坊」とも呼ばれているそうです。小浜の歴史はこの毫摂寺の創建から始まったともいえます。

浄土真宗の僧・覚如がこの小浜の地に毫摂寺を創建したのは室町時代後期の明応年間とされています。その際、寺とその周辺の町を寺内町として城塞化して一向宗の拠点として整備しました。この辺りの歴史も亀山御坊の前身の英賀御坊と似ていますね。ただし、英賀御坊と違う道を歩み出したのが戦国時代のこと。小浜御坊は一向宗であるにも関らず、信長側に付いたために戦火を逃れることとなりました。

小浜の街並み

毫摂寺を出ると、小浜の街並みが広がります。大阪のベッドタウン・宝塚の中心に近い地域とは思えないような趣のある街並みですね。

一向宗の宿敵・信長の手を逃れたとはいえ、戦国時代の混乱は小浜の地をそのまま生かしておくことはありませんでした。次回、もう少し小浜の地を歩いてみたいと思います。

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