せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

相模原を歩く(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、関東へ遠征し、武蔵・相模を歩いてみたいと思います。

橋本駅

立川よりモノレールと京王電鉄を乗り継いで到着したのは相模原市橋本です。
関西で「橋本」といえば和歌山県の橋本か、はたまた、湯沢山茶くれん寺を求めて訪れた京都府八幡市の橋本かというところですが、こちらの橋本は政令指定都市・相模原市の北東部の拠点で、JR横浜線・相模線と京王相模原線が交わるターミナル駅です。この橋本駅には今月より山陽バス「神戸・大阪・京都~立川線」が停車するようになりました。それを記念して…というわけではありませんが、周辺を見てみたいと思います。

橋本はその名の通り、この地の北側を流れる境川にかかった両国橋に由来しています。
この境川は武蔵と相模の境界の川で、川の相模川に開けた街に「橋本」という地名がつけられました。村として成立したのが江戸時代の初めといわれています。この辺りの歴史的な経緯を見ていると、やはり、関西と比べると新しい土地なのだなと感じますね。

バスに乗って

バスに乗って橋本駅を出発することにします。橋本駅北口を出たバスはしばらく市街地の中を走っていきますが、程なく街並みは途切れ、住宅と赤土の畑の入り混じった景色の中を走るようになります。やがて、山中に入ると湖が車窓に広がりました。相模川に設けられた城山ダムによって生まれた津久井湖です。

相模平野の村だった橋本ですが、明治に入ると周辺の村とともに相原村に組み込まれ、さらに、戦時色の濃くなってきた昭和16(1941)年には相模原町に組み込まれます。この頃、相模原周辺は広大な土地を背景に軍都の建設計画があり、数々の軍関連の施設が建設されました。相模原町の成立もその一環とされていたようです。現在もかつての相模陸軍造兵廠だった敷地が在日米軍の相模総合補給廠として残されています。

クラブ前

相模原で軍都の名残を探してみようかと思ったのですが、あまりの暑さに断念し、ぶらりバスの旅とすることにしました。津久井湖付近には「クラブ前」なるバス停名が。こんなところに垂水の「クラブ前」と同じ停留所名があるとはちょっと驚きです。

三ヶ木

バスの終点の「三ヶ木」に到着しました。読めそうで読めない地名ですが、「みかげ」と読むそうです。山奥ののどかなターミナルを想像していたのですが、現れたのは巨大なビル。路線図などを見てみると、この周辺のバス路線の拠点となっているようです。
ここからさらにバスを乗り継いで行きたいと思います。

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