せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

山陽電車新高架橋と明石・林崎界隈を巡る(前編)

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梅雨空の広がるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

新黒橋

今回訪れたのは、山陽電車大蔵谷駅にほど近い新黒橋
明石海峡大橋を望む陸橋の上には何やらたくさんの人がいますが…。
他の方もブログの記事にされていますが、私も6月14日に開催された「西新町駅付近高架化完成記念ウォーク」に参加してきました。
…「歴史ちゃうやん!」ですか?
この記録もいずれは歴史となるのです!

高架に沿って

受付を終えて、既に高架化が完了している明石駅までの高架に沿って歩いていくことに。
この付近の山陽電車のルートは過去二度に渡って大きく変化しました。

山陽電車の前身の兵庫電気軌道がこの区間を開業させたのは大正6(1917)年のことです。当初は現在の線路から大きく南側の国道2号線沿いを経由していました。それが変化したのは昭和6(1931)年のこと。兵庫電気軌道は明石~姫路間を開業させていた神戸姫路電気鉄道とともに宇治川電気(後の関西電力)に合併され一つの会社になりました。従来、両社の線路は明石で分断されていましたが合併後の昭和3(1928)年に線路を接続し直通運転を行なうようになりました。この際、兵庫電軌と比べて大型の神姫電鉄の車両の運行に対応するために行なわれたのが一度目のルート変更で、従来の国道沿いから現在のルートに近い国鉄沿いへと変更が行われました。

人丸前駅

歩いて程なく人丸前駅に到着しました。
この駅もルート変更時に移設されていて、兵庫電気軌道が開業させた当時の人丸前駅は国道の人丸前交差点付近にありました。

白龍神社

人丸前駅からさらに高架に沿って歩いていると小さな祠が現れました。案内板によるとこの祠は元和4(1618)年に創建された白龍神社という神社だそうです。小笠原忠真明石城築城の際に石垣が崩れて工事が進展しないので、城の巽(西南)に地神様として祭ったのが始まりとのこと。この神社のおかげで明石城は無事完成したと言われているとのことです。
江戸時代からこの地で明石の城下町を見守っていたのですが、前述の宇治川電気による線路付け替えの際に境内が線路敷になることになり、上ノ丸の明石神社へ移されることとなりました。この地に戻ったのは平成15(2003)年のことだそうです。

山陽明石駅

思いがけず(!)何だか歴史さんぽらしくなってきたところで山陽明石駅にたどり着きました。
次回、山陽電車の新しい高架橋を歩いてみたいと思います。

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