せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

旧湊川をたどる(前編)

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すっかり梅雨の季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

新湊川

今回訪れたのは神戸電鉄の湊川駅
湊川駅から10分も歩くと、新湊川のほとりに出ました。水量は豊富なのですが、深いコンクリートの水路にはあまり川の情緒がありません。
現在は会下山をトンネルで貫き駒ヶ林へと流れている新湊川ですが、以前も紹介しましたように、かつての「旧湊川」は兵庫区の市街地の真ん中を流れていました。
今回は旧湊川の痕跡を辿ってみたいと思います。

東山商店街

新湊川のほとりから歩いてみるのは「神戸の台所」とも呼ばれる東山商店街。生鮮食料品から雑貨、衣料品まで様々な店がびっしりと建ち並び、賑やかな雰囲気の商店街です。どこかアジア的な雰囲気もあり、これだけでも非常に面白いのですが、今回は川の痕跡に注目してみましょう。

不自然な”高低差”

商店街を歩いているとなかなか気が付きませんが、交差する道路を見てみると、何だか東北と南西方向への坂道があります。神戸の街中であれば海に向かって斜面になっているのが一種の法則のようなものですが、この坂道はそれに反しているような気がします。某公共放送の某番組ではありませんが、この“高低差”は何となく不自然です。

複雑な地形

平坦なような商店街も、脇道にそれるとこのような複雑な地形が。もともと複雑な商店街をこうした地形が一層複雑にしています。ただし、どうも、商店街の辺りだけが築堤のように周辺から細長く盛り上がっているような気がします。

かつてこの地を流れていた旧湊川はいわゆる天井川でした。六甲山からの土砂が堆積し川底が高かった湊川は大雨のたびに氾濫を起こし、周辺の田畑や近代以降は当時の中心市街に洪水被害をもたらしていました。東山商店街の北側にある「荒田町」という地名はこの洪水によって幾度となく田が荒らされたということに因んでいるとのこと。
こうした洪水を防ぐため、明治34(1901年)に会下山をトンネルで貫く新湊川が開削され、旧湊川は廃川となりました。その後、川跡を埋め立てて設けられたのがこの商店街を始めとする湊川の街です。つまり、築堤のような盛り上がりは川跡で、商店街に残る不自然な高低差は天井川の氾濫を防ぐための堤防の跡ということです。

湊川公園

商店街を抜けると湊川公園に出ました。こちらも以前紹介しましたが、旧湊川の川跡に設けられた公園です。

旧湊川の「廃川跡」はこの先も続いています。川の名残を辿りながら神戸の近現代を歩いてみましょう。

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