せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

瀬戸内の港町・飾磨を歩く(前編)

投稿日:



夏の気配も感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽電車飾磨駅

今回やってきたのは山陽電車の飾磨駅
特急停車駅で、車庫もある山陽電車の主要駅ですが、駅前は古い商店街が続き、どこか懐かしい雰囲気が漂っています。

薬師湯

街並みの中に趣のある銭湯が。
「薬師湯」とあるこちらの銭湯は長年に渡って建て増しが繰り返されたのか、非常に複雑な造りになっています。奥の煙突の立っているあたりの建物が浴室になるのでしょうか? これほどになると芸術的と言いたくなってきます。

赤いポスト

薬師湯の近くに円筒形の旧型のポストがありました。丸型ポストと呼ばれるこちらのポスト、かわいらしいく懐かしい姿から観光地などでよく見かけるのですが、ごく普通の街中で見かけた経験はあまりありません。何となく、飾磨の街並みに合っているような気がします。

飾磨の街並みを歩く

飾磨バイパスを渡ると街並みが少し変化しました。
飾磨の南側と言えば工業地帯のイメージが強いのですが、広がるのは昔ながらの湊町の雰囲気です。

飾磨の歴史は非常に古く、古代に「飾磨津(しかまつ)」「思賀麻江(しかまえ)」と呼ばれた港が始まりとされています。古代より瀬戸内海航路の拠点の一つとして発展してきたのですが、中世に入り、近隣の港が発展するとやや衰退してしまいます。飾磨が再び発展するのは江戸時代に入ってから。姫路城主となった池田輝政が姫路城と城下町の整備と併せて、飾磨を姫路の外港とし、運河や港湾施設の整備を始めました。

黒漆喰の商家

街並みの中の黒漆喰が立派なこちらの住宅は商家だったとのこと。
飾磨は後に生野銀山で産出された銀の積出港にもなり、城下町・姫路とは異なった商業都市として急速に発展、多くの商家が建ち並ぶようになりました。そして、明治維新を迎えることになります。
次回、飾磨の近現代を歩いてみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。