せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

山岳信仰の聖地・増位山随願寺を訪ねて(前編)

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爽やかな季節となってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

新緑が眩しいこの季節、そろそろ山が恋しくなってきませんか?
ということで、今回訪れたのは姫路です。
姫路で山といえば、書写山廣峯山か、はたまた雪彦山かというところですが…。

白国停留所

山陽姫路駅前
から神姫バスで到着したのは姫路市街の北東の白国停留所です。

巡礼道

白国停留所から山の方へ向かうと現れたのが、どことなく趣のある細道です。
沿道には「歴史街道 巡礼道」なる看板がありました。

道しるべ

山へと向かう道には、古めかしい道しるべが。
風化して薄くなってはいますが、「右 増位たいし尊・ふうら堂道」 なる文字が。
実はこの道、この先にある増位山の山腹にある随願寺という寺院の参道なのです。

随願寺念仏堂

参道を歩いていくと、小さな寺院が姿を現しました。
こちらは随願寺の諸堂の一つである念仏堂です。
このお堂は平安時代に常行三昧堂として建てられたとされ、現在の建物は江戸時代の文化6(1809)年に建てられたものとのこと。道しるべにあった「ふうら堂」こと風羅堂はこの近くの太子谷にあったようなのですが、現存していません。

増位山随願寺は聖徳太子が高麗僧・慧便(えべん)なる人物が山麓の井出村(現在の伊伝居付近)に「増位寺」として創建されました。奈良時代に行基が中興するとともに現在の増位山の山中へ移設したとされています。聖徳太子や行基など伝説のレギュラーメンバーが登場してきて、創建からあやふやな感じがしてしまいますが、非常に古い歴史をもつ寺院であることは間違いありません。
平安時代の承和元(834)年に時の仁明天皇の命で「随願寺」と寺号を改めるとともに、現在の天台宗の寺院となりました。この頃には山内に36棟もの諸堂が建ち並び、多くの僧を抱える大寺院に発展したと言われています。

念仏堂の新緑

訪れる人も少ない念仏堂はひっそりとしていましたが、眩しい新緑の中に佇むお堂は優しい雰囲気があふれていました。
ただし、随願寺はまだまだ山奥へと広がっています。
ハイキングがてら、巡ってみることにしましょう。

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