瀬戸内の港町・飾磨を歩く(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回・前々回に続き、飾磨を歩いてみたいと思います。

飾磨区須加の街並み

先ほどの入り江から街中に入ると趣のある街並みが続いていました。
この界隈は飾磨の中でも古くから開けた地区で、 江戸時代の港町の雰囲気を色濃く残しています。

飾磨区宮の街並み

関西の他の地域の街並みと比べても決して有名ではありませんが、広範囲に渡って多くの古い建築が残されていて、なかなか見応えがあります。

浜の宮天満宮

姫路港への国道を渡ると新緑の眩しい森が現れました。
こちらは浜の宮天満宮という神社です。山陽電車の浜の宮駅近くにあるのは「浜宮天神社」なのでややこしいのですが、こちらの浜の宮天満宮も由緒ある神社です。

前回・前々回と飾磨の町の歴史について説明してきましたが、街は海沿いの埋め立て地へと開発が進み、工場プラントの多くは市街地の南部に広がる広大な埋め立て地に広がっています。そのためか、まるで地層のように古い街並みが残されています。

リバーシティ

街並みを抜けて国道沿いに出ると巨大な商業施設が現れました。こちらは敷島紡績(現在のシキボウ)の工場跡地を再開発したものです。この界隈では流石にかつての面影を困難です。産業の中心だった工業の衰退に伴い、現在、飾磨では再開発が進められています。趣のある街並みも数年で変化してしまうかもしれません。

宮堀川の景色

リバーシティ近くの宮堀川沿いにはこんな景色が。
朱塗りの橋の向こうには恵美酒天満神社の鳥居が見えます。

古代から現代まで歴史を重ねてきた街並みを訪ねて、飾磨を歩いてみてはいかがでしょうか。

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瀬戸内の港町・飾磨を歩く(中編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、飾磨を歩いてみたいと思います。

飾磨市役所跡

飾磨バイパス沿いにはこんな石碑がありました。
古い石碑は姫路藩の蔵屋敷の跡の石碑ですが、比較的新しい方の石碑にはなんと「飾磨市役所」 の文字が。実はこの飾磨、姫路の外港として発展したものの、戦後まではあくまで姫路とは別の町でした。

江戸時代には港湾・商業都市として発展した飾磨の各町は明治に入ってから相次いで合併し、飾磨町となります。その後、大正・昭和にかけても周辺の自治体を合併して現在の姫路市南部の大部分が飾磨町となりました。この頃の飾磨は港湾都市としてだけでなく、沿岸部に発展した重工業地帯を背景として工業都市としても栄えていました。繁栄の頂点を極めた飾磨は昭和16(1940)年に市制施行して「飾磨市」となりました。

飾磨津物揚場跡

海沿い向かって歩いていくと、レンガ造りの建物が現れました。建物の大半は工場の敷地に入っていて、外から眺められるのは道路に面した北壁のみです。
こちらは「飾磨津物揚場跡」と呼ばれ、生野銀山からの銀を運んだ「銀の馬車道」の荷卸し設備の跡と言われています。

播磨工業地帯

飾磨津物揚場跡の傍から海側を眺めると、巨大な工場がそびえています。
近世・近代の史跡と現代の工場プラントが同居している景色というのはなかなか興味深いものですね。

重工業の発展を背景に栄えた飾磨ですが、戦後すぐの昭和21(1946)年、わずか6年間で姫路市に合併され、姫路市飾磨区となりました。その後は、姫路市の一地区としてですが、工業地帯を擁し、日本の高度成長を支えていきました。

飾磨津の景色

狭い路地を歩いてくと、小さな入り江にたどり着きました。
昔の地図を見ると、この辺りが江戸時代の「飾磨津」と呼ばれていた港だったようです。言われてみれば、昔の港の雰囲気が残っているような気がしますね。
この先、海側には湛保(たんぽ)と呼ばれる港湾施設もあるようなのですが、ちょっと遠いので断念することに。

ポートビル?

飾磨津の雰囲気を残す入り江の中で一番港らしいなと思ったのが入り江の奥にあったこちらの建物。喫茶店が入っているようですが、そもそもこの建物が何なのかはよくわかりません。漁協か何かの施設でしょうか。どことなく、淡路島の岩屋ポートビルに通じる雰囲気があるような気がします(もちろん、こちらの方が古くて小さいのですが…)。

この入り江の周辺にはまだまだ古い街並みが残されているようです。
もう少しだけ、お付き合いください。

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瀬戸内の港町・飾磨を歩く(前編)


夏の気配も感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽電車飾磨駅

今回やってきたのは山陽電車の飾磨駅
特急停車駅で、車庫もある山陽電車の主要駅ですが、駅前は古い商店街が続き、どこか懐かしい雰囲気が漂っています。

薬師湯

街並みの中に趣のある銭湯が。
「薬師湯」とあるこちらの銭湯は長年に渡って建て増しが繰り返されたのか、非常に複雑な造りになっています。奥の煙突の立っているあたりの建物が浴室になるのでしょうか? これほどになると芸術的と言いたくなってきます。

赤いポスト

薬師湯の近くに円筒形の旧型のポストがありました。丸型ポストと呼ばれるこちらのポスト、かわいらしいく懐かしい姿から観光地などでよく見かけるのですが、ごく普通の街中で見かけた経験はあまりありません。何となく、飾磨の街並みに合っているような気がします。

飾磨の街並みを歩く

飾磨バイパスを渡ると街並みが少し変化しました。
飾磨の南側と言えば工業地帯のイメージが強いのですが、広がるのは昔ながらの湊町の雰囲気です。

飾磨の歴史は非常に古く、古代に「飾磨津(しかまつ)」「思賀麻江(しかまえ)」と呼ばれた港が始まりとされています。古代より瀬戸内海航路の拠点の一つとして発展してきたのですが、中世に入り、近隣の港が発展するとやや衰退してしまいます。飾磨が再び発展するのは江戸時代に入ってから。姫路城主となった池田輝政が姫路城と城下町の整備と併せて、飾磨を姫路の外港とし、運河や港湾施設の整備を始めました。

黒漆喰の商家

街並みの中の黒漆喰が立派なこちらの住宅は商家だったとのこと。
飾磨は後に生野銀山で産出された銀の積出港にもなり、城下町・姫路とは異なった商業都市として急速に発展、多くの商家が建ち並ぶようになりました。そして、明治維新を迎えることになります。
次回、飾磨の近現代を歩いてみたいと思います。

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山岳信仰の聖地・増位山随願寺を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続き、姫路の増位山随願寺を歩いてみたいと思います。

自然に還りゆく石段

念仏堂からは石段の道がひたすら続きまが、長年、風雨にさらされた石段は崩れ果てていて、歩くのにはなかなか難儀します。
書写山や廣峯山でお馴染みの丁石を数えながら黙々と登ることにします。

随願寺本堂

山道を30分ほど歩いて随願寺本堂に到着しました。
意外に小ぢんまりとした雰囲気ですが、江戸時代の元禄年間に建てられたという本堂は優美な雰囲気があります。

随願寺は平安時代に天台宗となりましたが、この頃、播磨では天台宗の勢いが強く、書写山圓教寺法華山一乗寺など他の天台宗の寺院とあわせて播磨六山と呼ばれるようになりました。特に随願寺は朝廷から尊崇されたそうで、非常に栄えることになりました。
しかし、戦国時代に入り、三木合戦の際に焼き討ちに合い、諸堂は全て焼けてしまいました。

榊原忠次墓所

境内を歩いていくと、エキゾティックな雰囲気の建造物が。
こちらは江戸時代前期に姫路城主を務め、三木合戦で焼き討ちに遭った本堂を再建した榊原忠次の墓所です。朱塗りの建造物は唐門と呼ばれ江戸時代の享保16(1731)年に建てられたものです。門の向こうの墓碑には忠次の生い立ちや館林藩(現在の群馬県)、白河藩(現在の福島県)を経て姫路藩の藩主となった経歴などが記されているそうです。ちなみに、この碑文を一字も間違わずに読み上げると墓碑に彫られている亀が動き出すという伝説があります。

三木合戦で焼き討ちにあった随願寺の諸堂ですが、秀吉と榊原忠次によって徐々に再建され、江戸時代に入っても厚い信仰を集めるようになり、多くの参拝客が訪れました。以前訪れた野里地区もこの随願寺の門前町として栄えた街です。

開山堂

境内の奥には「奥の院」 と呼ばれる開山堂が佇んでいました。こちらは江戸時代初めの建築とされ、随願寺の諸堂の中では最古の建物とされています。

江戸時代にも栄えた随願寺ですが、明治時代に入り、廃仏毀釈によって衰退しまいました。現在、書写山圓教寺廣峯山が大河ドラマ効果のあって姫路の観光スポットとして注目を集めている一方で、随願寺は増位山の山中に静かに佇んでいます。険しい道のりを歩くことになりますが、静かな境内は山岳信仰本来の雰囲気を残しているということでしょうか。

かつての賑やかだった境内に思いを馳せながら、石段を降りることにしました。
爽やかなこの季節、静かな聖地・増位山随願寺を訪れてみてはいかがでしょうか。

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山岳信仰の聖地・増位山随願寺を訪ねて(前編)


爽やかな季節となってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

新緑が眩しいこの季節、そろそろ山が恋しくなってきませんか?
ということで、今回訪れたのは姫路です。
姫路で山といえば、書写山廣峯山か、はたまた雪彦山かというところですが…。

白国停留所

山陽姫路駅前
から神姫バスで到着したのは姫路市街の北東の白国停留所です。

巡礼道

白国停留所から山の方へ向かうと現れたのが、どことなく趣のある細道です。
沿道には「歴史街道 巡礼道」なる看板がありました。

道しるべ

山へと向かう道には、古めかしい道しるべが。
風化して薄くなってはいますが、「右 増位たいし尊・ふうら堂道」 なる文字が。
実はこの道、この先にある増位山の山腹にある随願寺という寺院の参道なのです。

随願寺念仏堂

参道を歩いていくと、小さな寺院が姿を現しました。
こちらは随願寺の諸堂の一つである念仏堂です。
このお堂は平安時代に常行三昧堂として建てられたとされ、現在の建物は江戸時代の文化6(1809)年に建てられたものとのこと。道しるべにあった「ふうら堂」こと風羅堂はこの近くの太子谷にあったようなのですが、現存していません。

増位山随願寺は聖徳太子が高麗僧・慧便(えべん)なる人物が山麓の井出村(現在の伊伝居付近)に「増位寺」として創建されました。奈良時代に行基が中興するとともに現在の増位山の山中へ移設したとされています。聖徳太子や行基など伝説のレギュラーメンバーが登場してきて、創建からあやふやな感じがしてしまいますが、非常に古い歴史をもつ寺院であることは間違いありません。
平安時代の承和元(834)年に時の仁明天皇の命で「随願寺」と寺号を改めるとともに、現在の天台宗の寺院となりました。この頃には山内に36棟もの諸堂が建ち並び、多くの僧を抱える大寺院に発展したと言われています。

念仏堂の新緑

訪れる人も少ない念仏堂はひっそりとしていましたが、眩しい新緑の中に佇むお堂は優しい雰囲気があふれていました。
ただし、随願寺はまだまだ山奥へと広がっています。
ハイキングがてら、巡ってみることにしましょう。

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