せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古代史ロマンを求めて~百舌鳥古墳群を歩く(前編)

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そろそろ初夏の気配を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

三国ヶ丘駅

今回訪れたのは大阪は堺市の南海電車高野線三国ヶ丘駅
山陽沿線からはあまり馴染みのない駅ですが、歴史に興味がある方なら既にむむっ!とするはずです。

駅の目の前に古墳が

駅の西口を出ると目の前にこんもりとした森のような木々が姿を現しました。
実はこちら、古代に築かれた古墳「源右衛門山古墳」という名で呼ばれています。
三国ヶ丘駅は堺市に広がる「百舌鳥(もず)古墳群」の真っただ中にある駅です。今回はこの三国ヶ丘駅から百舌鳥古墳群を巡ってみたいと思います。

古代からの森

源右衛門山古墳の裏手に遊歩道があったので歩いてみることに。
遊歩道のフェンスの向こうには鬱蒼とした森が続いています。
こちらは「仁徳天皇陵」「大仙陵」と呼ばれる日本最大の古墳「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」の森です。ただし、この古墳は三重の堀に囲まれており、今遊歩道から見えるのは3重濠と2重濠の間の第2堤で、古墳の墳丘が見えているわけではありません。

仁徳天皇陵は第16代(一説では第17代)天皇の仁徳天皇を葬った古墳とされています。墳丘の大きさは486mと日本最大で、面積の比較ではエジプトのクフ王のピラミッドや中国の始皇帝陵よりも大きく、世界最大級の墳墓とされています。ちなみに、兵庫県最大の古墳は我らが五色塚古墳ですが、仁徳天皇陵は五色塚古墳の3倍近い大きさがあります。

仁徳天皇陵の正面

外堀のほとりを15分ほど歩くと仁徳天皇陵の正面にたどり着きました。
2,700m以上あるこの古墳の外周で、唯一ここだけ第2堤への通路が設けられています。砂利が敷き詰められた先に鳥居が立っていて、神社のような厳かな雰囲気ですね。鳥居の向こうにそびえるのは仁徳天皇陵の墳丘です。

仁徳天皇陵は五色塚古墳と同じ「前方後円墳」という円形と四角形を組み合わせた鍵穴のような形をした古墳で、現在眺めているのは鍵穴の底面の部分に当たります。前方部(四角形の部分)は底面から後円部(円形の部分)にかけて下り傾斜がある構造となっており、現在見えているのは前方部の底面だけ。古墳の正面から後円部を眺めることはできないという何ともミステリアスな構造になっています。また、観光ガイドの方によると、堺市役所展望台や日本一高いあべのハルカスからも鍵穴型の形状を眺めることはできないどころか、最も内側にある1重濠の水面すら見えないということで、飛行機以外にこの古墳の全容を眺めることはできないそうです。現代でもそんな状況なのですから、古代の人々にとってはとてつもなく神秘的な存在だったことでしょう。

堺市博物館

なかなか近寄りがたい仁徳天皇陵ですが、隣接する大仙公園にある堺市博物館のシアターコーナーでは映像で仁徳天皇陵や百舌鳥古墳群の全容を眺めることができます。シアターコーナーだけは無料で見ることができるので、休憩がてら立寄ってみてもいいですね。

百舌鳥古墳群はまだまだ広がっています。
もう少しお付き合いください。

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