せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

茨木城をたずねて

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こんにちは、玄蕃允です。

今回も山陽電車から阪急電車に乗り換えて、阪急京都線のお城めぐりということで茨木城跡に行ってきました。
阪急茨木市駅から歩くこと10分。江戸時代の一国一城令のため茨木城は取り壊されているため、城跡を訪ねます。
城跡は現在、茨木小学校になっています。

復元された櫓門


茨木城の城主では中川清秀が有名でしょうか。

中川清秀は荒木村重の傘下で、村重の謀反の際にも当初は村重に従いますが、織田方の説得によって、高槻城主の高山右近とともに織田方に降りました。

荒木村重謀反のきっかけとなった、敵対する石山本願寺への兵糧を横流ししたのは中川清秀の家臣とする説もあるようです。
清秀がこの茨木城を大規模な城へと拡充しました。

当時の茨木城を偲ぶ遺構としては、茨木神社に城門が残っています。

茨木神社



茨木神社のはじまりは807年に坂上田村麻呂がこの地に荊切(いばらきり)の里を作った際に鎮座したとされています。この「荊切」が「茨木」の地名の由来になったともいわれています。

茨木城から移築されたと伝わる搦手門


中川清秀のその後は織田信長の家臣となり、丹羽長秀や池田恒興の下で活躍します。本能寺の変後は羽柴秀吉に合流して、明智光秀との山崎の戦いでも主力となりました。

ぜひ、黒田官兵衛や荒木村重とのつながりが強い、この茨木城跡に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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