せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

大和盆地を見下ろす信貴山へ(前編)

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ぐずついた天気の日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回は奈良県の西の端の信貴山を訪ねてみました。

西信貴ケーブル

やってきたのは、山陽電車から阪神電車を経て近鉄に乗り継いだ信貴山口駅
ここで近鉄の電車からケーブルカーに乗り換えます。
このケーブルカーは近鉄の運行する路線で、西信貴ケーブルと呼ばれています。わざわざ「西」 というからには東もあるのかと思うところですが、信貴山の反対側、近鉄生駒線信貴山下駅から出ていた東信貴ケーブルは昭和58(1983)年に廃止されてしまいました。

近鉄バス

ケーブルカーの終点の高安山駅からは近鉄バスに乗り換え。
このバスが走るルートには、かつて、信貴山急行電鉄が運行する電車が走っていました。山上で電車が走っているとはなかなか面白いのですが、この電車は戦時中の昭和19(1944)年に休止され、後に廃止されてしまいました。

信貴山朝護孫子寺

近鉄バスの終点の信貴山門バス停から参道を歩いて、信貴山朝護孫子寺に到着しました。 信貴山朝護孫子寺は信貴真言宗の総本山で、毘沙門天を本尊とする寺院です。
創建時期ははっきりとしていないようなのですが、平安時代の中ごろには堂宇があったと言われています。

世界一福寅

この寺を創建したのは聖徳太子であるという説もあります。物部守屋討伐の途上、この信貴山で勝利のための祈祷を行った聖徳太子の前に毘沙門天が現れ、勝利の秘法をさずけました。そのおかげで守屋に勝利した聖徳太子は後にこの山に寺院を築いたとされるものです。ただし、この伝説は後年の創作と言われ、信憑性が薄いとされています。
聖徳太子の前に毘沙門天が現れたのが寅年、寅日、寅の刻であったことからこの寺は寅に縁があるとされ、境内は寅ばかり。そういえば、西信貴ケーブルの車両にも寅が描かれていましたね。境内には「世界一福寅」と言われる巨大な寅がありました。
余談になりますが、この朝護孫子寺の張り子の寅にそっくりの寅がミャンマーのお寺の土産物にもあります。はるかに離れた日本とミャンマーに似たような土産物があるとは何だか興味深いですね。「アジアは一つ」ということでしょうか。

本堂からの眺め

本堂からは大和盆地が見渡せます。
何とも爽やかな景色で、お寺参り以外にも楽しめますね。
また本堂では戒壇巡り(暗闇の中で極楽への錠前に触れるお参り)もできます。

こんな感じで、なかなか楽しい信貴山ですが、次回は歴史部らしくこの信貴山を舞台にした戦いについて迫ってみたいと思います。

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