せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

官兵衛の妻・光姫の故郷 志方を歩いて(前編)

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冷え込みの厳しい日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

大河ドラマ「軍師官兵衛」、盛り上がってきましたね。
今回も大河ドラマ絡みということで、官兵衛の妻・光姫(てるひめ)の実家の櫛橋氏の居城のあった加古川市志方町を歩いてみました。

バスで志方町へ

志方町
へは山陽明石又は山陽姫路よりJRに乗り換えて加古川駅で下車。
加古川駅の南口5番乗り場から出る西牧行きのバスに乗ります(宝殿駅からも乗ることができます)。
ちなみに、このバスは2時間に1本しかないので、お出かけの際は時刻に注意してください。

志方西口停留所

加古川駅から30分ほどで志方町の志方西口停留所に到着。
この停留所から交通量の多い道路を注意しながら歩いていくことに。

観音寺

たどり着いたのは観音寺という曹洞宗の寺院。
この観音寺は櫛橋氏の居城・志方城の跡地に建てられたと言われています。

志方城は赤松氏に仕えていた櫛橋左京亮則伊が明応元年(1492)年に築いた城です。
現在の観音寺の境内は本丸の跡と言われ、城郭は隣接する小学校の敷地まで広がるかなり大規模なものであったと言われています。
代々赤松氏に重用されてきた櫛橋氏ですが、則伊から数えて四代の政伊が城主の頃、三木合戦(詳しくはこちらへ)の際に別所方についたために、天正6(1578)に秀吉軍に攻め滅ぼされ、志方城も落城してしまいました。
その後、天正15(1587)年に宝岩宗珍和尚なる人物が城主の墓を守るためにこの地に観音寺を建立したとのことです。

城跡は

意外と小ぢんまりとした境内ですが、本丸跡というだけあってちょっとした高台になっており、集落を見下ろすことができます。ただし、城があったことを示す遺構はほとんど残されていません。

櫛橋家墓所

境内の奥の墓地には櫛橋家の墓所がありました。
わかりやすいように幟まで立てられています。ちなみに、幟に書かれている「櫛橋幸圓」とは光姫のこと。今回は櫛橋氏についてみていきましたが、次回は志方町を歩きながら光姫についても迫ってみたいと思います。

ということで、次回へ続きます。

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A:加古川駅
B:志方西口停留所
C:観音寺

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