前回に続いて黒田官兵衛の初陣、青山・土器山の戦いについて。
その土器山を訪ねてきました。
土器山と書きますが、「かわらけ山」と呼んだのだそうです。そしてこのかわらけやま(瓦山)は現在の船越山であるという説があります。
場所は前回の青山古戦場と夢前川を挟んで姫路側になります。青山古戦場から徒歩で20~30分ぐらいでしょうか。
姫路赤十字病院の近くになります。
一度は青山で龍野の赤松政秀を撃退した黒田家でしたが、赤松政秀は再び姫路に侵攻してきます。
赤松軍は3000人程の兵に対し、黒田軍はその10分の1程の兵しかいませんでした。
数に劣る官兵衛は当然、劣勢に陥ります。
黒田軍に多数の死傷者が出て壊滅状況の中、官兵衛は夜に赤松軍を強襲します。
まさか反撃に出るとは思っていなかった赤松軍は混乱し、龍野に敗走します。
官兵衛の忠臣である母里武兵衛は重傷ながらも赤松軍を追撃し、7本の槍に貫かれ、壮絶な死を遂げたそうです。
船越山の麓には船越神社が建っています。
船越神社
麓には黒田官兵衛にまつわる案内版もあります。
階段を登っていくと、山の中腹に金毘羅宮がありました。
金毘羅宮
黒田官兵衛陣地跡の案内にしたがって、その横の山道を行きます。
完全に山道なので大丈夫なんだろうかと不安になりますが、恐る恐る進むこと2、3分。
すぐに山頂につきます。
青山合戦陣地跡
頂上からは姫路城方面と龍野城方面がよく見渡せます(木が生い茂っていますが…)夢前川をはさんで、赤松氏の龍野方面がすぐ眼下におさまります。
小さく見える姫路城
決死の覚悟と機転で生まれ育った姫路を守った官兵衛。
幼いころからの家臣である母里武兵衛を失うなど、失ったものは計り知れませんが、ここから「軍師」としての道が始まりました。
官兵衛の初陣の地である青山と土器山にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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A:山陽姫路駅
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