せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

四十七士と塩の町・播州赤穂を歩いて(前編)

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冬至が近づき、日が短くなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回、山陽電車で向かったのは姫路

姫路駅前 眺望デッキ

姫路駅前に新たに登場した眺望デッキから姫路城の方を眺めてみました。
天守閣は素屋根に覆われた状態ですが、このデッキから素屋根を眺められるのもあとわずか。ある意味で貴重な景色です。
ただし、今回訪れるのは姫路ではなく、さらに電車で西へ…。

播州赤穂駅

姫路駅から山陽本線・赤穂線の列車で30分、播州赤穂駅に到着しました。
赤穂浪士四十七士の城下町・赤穂の玄関口です。
明日12月14日はいわゆる赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日ということで、赤穂の町を歩いてみました。

赤穂城

駅から歩いて15分ほどで赤穂城に到着!
こちらは城下町に向いた大手門側です。

ゆるキャラ登場!

大手門の前に何かいる!
こちらは「陣たくん」という赤穂のゆるキャラとのこと。
大石内蔵助が討ち入りの際に用いたとされる山鹿流陣太鼓をモチーフにしているそうです。
カメラを向けるとポーズを取ってくれました。

大石神社

城内の大石内蔵助邸跡地には大石神社が建っていました。
こちらも赤穂義士祭が近づいているせいか賑わっています。

元禄赤穂事件、いわゆる赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、よく知られているように、元禄14(1701)年に赤穂藩主・浅野長矩(内匠頭)が江戸城松之廊下にて高家旗本・吉良義央(上野介)に斬りかかったことから始まります。城内で抜刀したことから浅野長矩は切腹となり、赤穂浅野家は断絶、赤穂藩は改易(取り潰し)となりました。
その翌年の元禄15(1703)年12月14日に遺臣となった大石内蔵助ら47人の藩士が江戸の吉良邸に討ち入り、吉良義央を討ち取りました。
平和な元禄の世に起こった事件の大きさと、主君の仇討(「仇討」と表現すべきかどうかは微妙ですが)という物語性等から、この事件は歌舞伎などで上演され「忠臣蔵」として知られるようになります。

義士宝物殿

境内にある巨大な陣太鼓が目印の「義士宝物殿」では赤穂事件の各種資料を見ることができます。また、大石神社の境内には大石邸の長屋門や庭園なども残されていて、単なる神社では済まないほど見どころに溢れています。
明日は「赤穂義士祭」、メインの会場の一つの大石神社も多くの観光客で賑わうことでしょう。

歴史部は引き続き、赤穂の城下町を探っていくことにして、次回に続きます。

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A:播州赤穂駅
B:大石神社

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