せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

垂水をゆく~塩屋谷川のみち(前編)

投稿日:



秋めいてきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

9月に垂水ウィークということで垂水を巡り歩きましたが、 取り上げたのは垂水舞子多聞のエリア…。垂水区の東側の塩屋エリアについては取り上げていませんでした。
もちろん、忘れているわけではありませんので、今回は塩屋を歩いてみました。

多井畑の厄神さん

塩屋エリアを流れるのは塩屋谷川という川です。
その始まりはというと…、いきなり垂水区から出てしまいますが、須磨区多井畑地区の辺りです。
この地にあるのは神戸の近辺では有名な「多井畑の厄神さん」こと多井畑厄除八幡宮です。

厄神さんの境内へ

境内に入ると、 夕方だったこともあり、静かな雰囲気でした。須磨浦方面からの登山コースがあるため、参拝客の方のほかに登山の装備の方もちらほら見かけます。
ちなみに、旧街道の西国街道は、今は海沿いを行くルートになっていますが、中世頃までは須磨寺からこの多井畑厄神を経るルートを通っていたと言われています。

社務所

境内の社務所。
なかなか趣がありますが、何だか気になるところが…。

橘紋

こ、これは…!?

社務所の軒には私、内膳正が旗指物で使っている橘紋が掲げられていました。
平安時代、京都・石清水八幡宮を創建した僧・行教の家紋がであったことから、八幡宮では橘紋が広く使われています。

多井畑厄神の歴史は非常に古く、日本最古の厄神と言われているようです。
神護景雲4(770)年、畿内を中心に疫病が流行し、その疫払い祈願が行われた場所の一つとされています。神社として整備されたのは平安時代で、石清水八幡宮から八幡神が勧請されて八幡宮として祭られるようになったとのこと。
現在でも、神戸市を中心に多くの参拝客が訪れ、一月の厄除大祭は大変な賑わいになるそうです。

境内より

高台にある境内から塩屋の方を眺めてみました。
これから、塩屋谷川に沿って、史跡を巡っていきましょう。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村


A:山陽電車山陽須磨駅
B:神戸市バス多井畑厄神停留所
  (須磨駅前のほか、名谷駅前、妙法寺駅前よりバスがあります)
C:多井畑厄除八幡宮


大きな地図で見る