せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石藩の世界~明石市立文化博物館

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雨の日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

9月21日~10月20日の間、明石にある明石市立文化博物館で企画展「明石藩の世界Ⅰ」が催されていました。
以前、このブログで取り上げた明石藩の武家屋敷跡にも関係がありそうな内容のようですので、見学しに行ってみました。

明石城のお堀

山陽明石駅から駅の北側に出て、お堀の端を東に向かうことに。

明石市立文化博物館

明石市立文化博物館は明石城の東側の高台にあります。

住吉丸

エントランスには船が展示されていました。
この「住吉丸」「ケンサキミヨシ」と呼ばれる形式の漁船で、流れの速い明石海峡での漁に対応した仕組みになっているようです。
館内で撮影可能なのはここまでです。

今回訪問した企画展「明石藩の世界Ⅰ」では、明石藩の家老を勤めた黒田家の資料を中心に展示がされていました。
「黒田」と聞くと、反射的に黒田官兵衛か!?と思ってしまいますが、この明石藩の黒田家と官兵衛の黒田家には系譜上のつながりは見られないとのこと。ただし、官兵衛の黒田家と明石藩の黒田家はともに黒餅(黒丸のみのシンプルな家紋)を替紋として使っているとのことで、もしかすると、何かつながりがあるのかもしれません。
その他に、黒田家の日記や絵画などが展示されていて、あまり知られていない近世の明石の城下町の様子を垣間見ることができました。

黒田家屋敷跡

博物館を出て、少しだけ明石の街を歩いてみました。
黒田家の屋敷があったのはちょうどこの辺りだそうです。
今は明石の中心市街地になり、ビルが立ち並んでいます。

企画展「明石藩の世界Ⅰ」は 既に終了してしまいましたが、明石市立文化博物館では他にも明石や播磨にまつわる興味深い展示があります。また、11月には企画展「発掘された明石の歴史展~明石の古代~」なるこれまた興味深い展覧会も開催されるとのこと。明石城址の明石公園も近くにありますので、歴史さんぽにはもってこいです。これから秋本番。博物館で文化的な気分になってみてはいかがでしょうか。

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A:山陽電車山陽明石駅
B:明石市立文化博物館
C:黒田家屋敷跡

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垂水をゆく~塩屋谷川のみち(前編)

投稿日:



秋めいてきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

9月に垂水ウィークということで垂水を巡り歩きましたが、 取り上げたのは垂水舞子多聞のエリア…。垂水区の東側の塩屋エリアについては取り上げていませんでした。
もちろん、忘れているわけではありませんので、今回は塩屋を歩いてみました。

多井畑の厄神さん

塩屋エリアを流れるのは塩屋谷川という川です。
その始まりはというと…、いきなり垂水区から出てしまいますが、須磨区多井畑地区の辺りです。
この地にあるのは神戸の近辺では有名な「多井畑の厄神さん」こと多井畑厄除八幡宮です。

厄神さんの境内へ

境内に入ると、 夕方だったこともあり、静かな雰囲気でした。須磨浦方面からの登山コースがあるため、参拝客の方のほかに登山の装備の方もちらほら見かけます。
ちなみに、旧街道の西国街道は、今は海沿いを行くルートになっていますが、中世頃までは須磨寺からこの多井畑厄神を経るルートを通っていたと言われています。

社務所

境内の社務所。
なかなか趣がありますが、何だか気になるところが…。

橘紋

こ、これは…!?

社務所の軒には私、内膳正が旗指物で使っている橘紋が掲げられていました。
平安時代、京都・石清水八幡宮を創建した僧・行教の家紋がであったことから、八幡宮では橘紋が広く使われています。

多井畑厄神の歴史は非常に古く、日本最古の厄神と言われているようです。
神護景雲4(770)年、畿内を中心に疫病が流行し、その疫払い祈願が行われた場所の一つとされています。神社として整備されたのは平安時代で、石清水八幡宮から八幡神が勧請されて八幡宮として祭られるようになったとのこと。
現在でも、神戸市を中心に多くの参拝客が訪れ、一月の厄除大祭は大変な賑わいになるそうです。

境内より

高台にある境内から塩屋の方を眺めてみました。
これから、塩屋谷川に沿って、史跡を巡っていきましょう。

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A:山陽電車山陽須磨駅
B:神戸市バス多井畑厄神停留所
  (須磨駅前のほか、名谷駅前、妙法寺駅前よりバスがあります)
C:多井畑厄除八幡宮


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塩の街~大塩を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、大塩を歩いてみたいと思います。

大塩駅の北側には

山陽電車の大塩駅の北側には昔ながらの集落が広がっています。
集落には製塩業で栄えた家が少なくなく、細い路地に面して、立派なお屋敷が建ち並んでいるのが見えます。

明泉寺

集落の中でひときわ目立つのが、こちらの明泉寺という浄土真宗の寺院。
大塩地区最大と言われる寺院で、浄土真宗らしい大きな屋根をもった本堂がそびえています。

静かな境内

境内は整った雰囲気で、寺務所の周りの植え込みが何だかいい感じです。
こんなところからも、この地が製塩業で栄え、豊かな土地であったのだろうということが伺えます。
この寺院は、室町時代まで「大養寺」という天台宗の寺院だったそうなのですが、いつの頃からか浄土真宗に改宗し、江戸時代には寺の名前まで改めてしまいました。
播磨における一向宗の勢力拡大と何か関係がありそうですが、詳しいことはわかっていなようです。

西光寺

明泉寺からさらに集落の中を進むと、西光寺に着きました。
こちらは浄土宗の寺院で、室町時代の創建と伝えられます。

西光寺の鐘楼

こちらの寺院も庭園が整っていて、いい雰囲気です。
境内には立派な鐘楼もありました。こちらは江戸時代に作られたものだと言われています。

屋台蔵

西光寺から駅へ戻る道すがら、屋台蔵を見かけました。
こちらは大塩天満宮の秋祭りで使われる屋台を治めた屋台蔵で、中之丁のものです。
もうすぐ秋祭りの季節、大塩では14日15日が秋祭りの期間です。
勇壮な獅子舞や屋台の練り合わせを眺めながら、製塩業で栄えたかつてのこの町の姿に思いを馳せてみてもいいかもしれません。

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A:山陽電車大塩駅
B:明泉寺
C:西光寺
D:中之丁屋台倉
E:山陽電車大塩駅


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塩の街~大塩を歩いて(前編)

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風が爽やかな季節になってきましたが、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回は大塩を歩いてみました。

大塩天満宮

山陽電車の大塩駅を降りると、早速南側には立派な社殿がそびえているのが見えます。
こちらは大塩天満宮
大塩ではかなり大きな神社で、秋祭りの毛獅子の舞が知られています。
10月14日と15日には屋台の練り合わせが行われ、牛谷丁・宮本丁・中之丁・東之丁・北脇丁・西浜丁・西之丁・小林丁の8地区から毛獅子が登場します。長い毛を振り回しての勇壮な舞はかなりの迫力とのこと。この連休は是非とも見に行きたいですね。

エスコート10月号

山陽沿線の秋祭りの情報は駅などで配布されているエスコート10月号に載っています。

大鳥居

大塩天満宮は昌泰4(901)年、太宰府へ左遷される途中の菅原道真がこの地にあった寺院に霊鏡を奉納したことを由緒としています。中世、戦乱を避けるために霊鏡を近くの山に埋めたそうなのですが、後に埋めた場所がわからなくなったために山全体を天神山と名付けて社殿を建て、道真公を祭るようになったとのこと。昔のこととはいえ、何だかのんびりした由緒ですね。現在の神社は江戸時代に天神山の麓から移転したのち、平成10(1998)年に都市計画道路の建設によって今の場所へ移転したものです。

塩田跡

天満宮の前には空地が広がっていました。
こちらは塩田の跡です。
大塩はその名の通り製塩業が盛んな土地で、山陽電車の線路の浜側には広大な塩田が広がっていました。
大塩の製塩業の歴史は非常に古く瀬戸内海沿岸では最古とも言われます。古代には汐崎塩崎と呼ばれ、中世には荘園の名前や村名で「大塩」 と呼ばれるようになりました。江戸時代には瀬戸内でも有数の産地となり、姫路藩一の製塩地として栄えたと言われています。
しかし、戦後にイオン膜法による工業製塩が開始されるとこうした塩田は急速に姿を消していきました。
今では、一部が住宅地や学校になったりしたものの、多くはこうした空地で残っています。
しかし、大塩では製塩業で栄えた風情を今も感じることができます。次回は山陽電車の北側に向かい、製塩業で栄えた街並みを歩いてみたいと思います。

ということで、次回に続きます。

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A:山陽電車大塩駅
B:大塩天満宮


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明治の香りの名建築~兵庫県公館を訪ねて

投稿日:



初秋の頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回降り立ったのは、阪神電車元町駅
元町といえば、山陽沿線ブログの他のブロガーの方もよく取り上げているおしゃれな街ですが、歴史部は賑やかな繁華街に背を向けて静かな山手側を目指します…。

聳え立つ明治の建築

閑静な街並みの中に現れたのはタイル張りの荘厳な洋風建築。
こちらは兵庫県公館です。
前を通ったことがあるという方は多いかもしれませんが、中に入ったことがあるという方はあまり多くないかもしれません。
しかし、実は、毎週土曜日に一般公開を行っていて、意外と気軽で身近な感じなんです。

重厚な館内

中に入ると外観の通りの重厚な造り…。
エレベーターの階数表示が時計のような針で示されているのが何だかいい感じです。

知事室

三階部分は迎賓館になっています。
こちらは、知事の執務室だった部屋です。
明治の兵庫県知事というと、やはり、初代・伊藤博文が思い浮かんでしまいますが、伊藤博文が知事を務めた期間の兵庫県庁は旧・兵庫陣屋(尼崎藩の役所で、今の和田岬付近にありました)に設けられていて、この執務室を使うことはありませんでした。

屋上庭園

屋上には緑が眩しい庭園が広がっていました。
建物の上にこんな庭園が広がっているとは、何だか不思議な気分になってしまいますね。

会議室

こちらは会議室です。
長いテーブルを囲むように椅子がずらりと並んでいました。
誰もいない状態でも、妙に緊張感があります。

兵庫県公館は明治35(1902)年、兵庫県の県庁本庁舎として建てられました。昭和58(1983)年に現在の庁舎が建てられてからは迎賓館県政資料館として使用されています。
建築当時は日本最大級の庁舎建築と言われていたのですが、昭和20(1945)年の神戸大空襲で外壁以外を焼失してしまいました。現在の内装は用途変更に伴って昭和60(1985)年に再整備されたものです。

玄関ロビーへ

2階の県政資料館を見学してから、1階へ。
玄関ロビーは吹き抜けになっていてこれまた重厚な雰囲気が漂います。
ビルが建ち並ぶ現代でも目を引く存在ですから、建設当時ならば日本最大級という大きさ以外でも注目される建物だったのでしょう。この玄関ロビーだけを見てみても、開港地・神戸の街を擁する県の県庁本庁舎としての意気込みを感じます。

公館の見てきた兵庫県

明治から現代までの激動の時代を眺めてきた兵庫県公館
今の兵庫県をどのように眺めているのでしょうか。

兵庫県公館は毎週土曜日に一般公開されています。
10月にはお茶会なども開かれるとのこと。
そろそろ気候の良い時期になってきましたし、皆様も散策がてら訪れてみてはいかがでしょうか。

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A:阪神電車元町駅
B:兵庫県公館


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