せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

垂水をゆく~山田川のみち(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
垂水ウィーク四回目の更新ですね。
前回までは垂水区の東を流れる福田川を河口まで辿りましたので、今回は西側を流れる山田川の流れを辿って行きたいと思います。

多聞寺前停留所

舞子駅から山陽バス54系統で10分、多聞寺前停留所に到着しました。
その名の通り、吉祥山多聞寺の前にあるバス停です。

仁王門

バス停から横道に入ると現れたのは立派な仁王門。
転法輪寺とは少し違った雰囲気ですが、なんとも立派な寺院ですね。

かきつばた多聞寺

門をくぐりぬけると、広大な杜若園が広がります。
多聞寺前停留所に隣接してある山陽高速バス多聞団地・三宮線の停留所名「かきつばた多聞寺」はこの杜若園が由来です。ただし、今は9月…。杜若の季節からは完全に外れているので、このような少々寂しい景色でした。是非とも初夏に再訪したいですね。

本堂へ

石段を上ると本堂がそびえます。
多聞寺は入唐八家の一人で最澄の弟子の円仁が創建したとされる古刹です。創建年代は不明だそうですが、平安時代の創建になるとも言われる非常に歴史のある寺院です。ちなみに、先ほどの杜若は円仁が中国より持ち帰ったものを植えたのが始まりと伝えられています。

百足紋

多聞寺の名の通り、本尊は毘沙門天(多聞天)で、そのせいか、お堂の前には百足紋が刻まれた台がありました。百足(ムカデ)というと、流しやトイレ等の水回りに現れて、噛まれたりしたら大変なことになる厄介な虫ですが、毘沙門天の使いと言われています。その理由ははっきりとしていないようですが、毘沙門天を信仰する人が多かった鉱山師が、本坑から多数の坑道が枝分かれする鉱山の採掘坑の様を百足に例えて毘沙門天の使いとしたという説があります。この辺りに鉱山があったという記録はないようですが、もしかすると、何かしらの関係があるのかもしれません。

長い石段

多聞寺から川沿いを行くと、こんもりと茂った森が見えてきました。
多聞六神社の森です。
鳥居の前に立つと、ひたすら長い石段が続いていました。どうやら神社はこの上にあるようですが、見ただけでくじけそうになるような高さです。 転法輪寺の時にも身をもって感じましたが、垂水は予想以上に起伏に富んでいるようです。

多聞六神社

何とか石段を上り、本殿前に辿り着きました。
この多聞六神社は貞観5(863)年の創建と伝えられる古社です。現在の垂水区の北西部を占めた旧多聞村の鎮守とされ、小さいながらも非常に風格のある神社です。
ちなみに、「六神社」という変わった名前は六柱の神様を祭っていることを意味しています。

変わりゆく多聞を見つめて

かつては山のお宮さんだったのであろう多聞六神社ですが、開発が進む現在では神社の周囲はすっかり住宅地となり、この神社と多聞寺の敷地がぽつりと島のように住宅の中に浮かんでいるような格好になっています。どことなく昔の雰囲気が残っていた福田川沿いに対し、多聞から学が丘にかけての一帯は戦後、地形が変わるくらい大規模に開発され、今の街が作られました。千二百年近くこの地を見つめてきた神々は、今をどのように眺めているのでしょうか。

次回は山田川に沿って史跡を巡って行きたいと思います。ということで、続きます。

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A:舞子公園駅
B:舞子駅バスターミナル
C:多聞寺前停留所(舞子駅より山陽バス54系統で10分)
D:吉祥山多聞寺
E:多聞六神社


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