せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

未来都市の跡~姫路市営モノレールを追う(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、姫路市営モノレールの跡を辿っていきたいと思います。

船場川に沿って

大将軍駅を出たモノレールは船場川に沿って走っていきます。この対岸には山陽色素の煉瓦造りの工場があったのですが、つい最近、老朽化で取り壊されてしまいました。

新幹線をくぐって

船場川に沿って山陽新幹線の高架をくぐります。
モノレールの桁と新幹線の高架がギリギリで、何だか危なっかしいように見えますが、当時は普通に通過できたそうです。

手柄山へ

姫路駅から残っていたモノレールの高架橋ですが、船場川を渡ったところで途切れてしまいました。周辺は住宅地になっていて、どうやら整備のために撤去されてしまったようです。

華々しく開業した姫路市営モノレールですが、観光客向けの短距離の路線であったことが災いし、博覧会終了後は利用が低迷します。それに加えて、特殊な技術を採用したことから維持費がかさみ、開業から6年で10億円以上もの累積赤字を計上。姫路市は事業の見直しを迫られるようになりました。
結果、モノレールは昭和49(1974)年に運行を休止、昭和54(1979)年には正式に廃止になります。未来の公共交通機関として期待された姫路市営モノレールはわずか8年で歴史に幕を閉じることになりました。

手柄山駅は今

モノレールの終点の手柄山駅手柄山交流ステーションとして整備され、当時の駅施設や車両が保存されています。車両には開業当時のものを模した飾りが取り付けられていて、当時を再現したアナウンスが時折流れます。

たのしい一日 須磨浦ロープウェイ

駅には当時の広告が残されていました。
須磨浦ロープウェイのこちらの看板は、何だか今でも使えそうですね。

モノレールの見た未来は

姫路の公共交通の未来を担うべく生まれ、果たせずに消えていった姫路市営モノレール。
その目指した先にはどのような姫路が広がっていたのでしょうか。
残念ながら、今となっては想像するしかありません。
子供たちに囲まれて余生を過ごすモノレールたちに別れを告げて、手柄山を下りることとしました。

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A:モノレール姫路駅跡
B:山陽新幹線との交差
C:船場川
D:手柄山交流ステーション


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