せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

広峰山に黒田家の原点を求めて

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暑い日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

突然ですが、ブログをご覧のみなさんは海派ですか? 山派ですか?
生まれも育ちも山奥の私はバリバリの山派です。
というわけで、今回は夏に向けて山の紹介をさせていただきます。

訪れたのは姫路の広峰山
姫路駅から乗ったバスをその名も「広峰」停留所で降りると、待ち構えているのはかなり本格的な登山道。どうやら広峰山を甘く見ていたようです。

丁石

道沿いにはこんな石碑が。
麓の参道入り口から山腹にある広峯神社までの距離を示す丁石です。
1丁は約109mで、この丁石は「十八丁」まであったので、麓から神社までの距離は約2kmということになります。

広峯神社に

山道を一時間近く歩き、何とか広峯神社に到着しました。

境内からの景色

かなり登っただけあって景色はよく、境内からは姫路の市街地が一望できます。夜には夜景の名所になるとのこと。天気が良ければ四国や和歌山まで見えるそうですが、訪れた時は生憎の曇り空でした。

広峯神社の社殿

広峯神社は古い神社で、 天平5(733)年に吉備真備によって創建されたと伝えられます。ということは、姫路城や姫路の町が姿を現す前からこの地に建っていたということで、非常に長い歴史を持っています。
現在は素戔嗚尊(すさのおのみこと)や五十猛命(いそたけるのみこと)を祭っているのですが、明治以前の神仏習合の考え方では、素戔嗚尊に姿を変えていたとされる牛頭天王(ごずてんのう 別名・祇園神)を祭っていました。そのことから祇園社の総本宮とされます。同じく素戔嗚尊を祭る京都・八坂神社と何だか被っているような気がしますが、どうやら諸説があるようで、今も論争になっているそうです。

御師屋敷

神社から少し歩いた山の中には古い民家がありました。
神社に仕え、神符や暦を売り歩いていたとされる御師(おし)の家でしょうか。

黒田官兵衛を生んだ黒田家は、備前・福岡から流れてきたのち、ここ姫路で一族に代々伝わる目薬「玲珠膏(れいじゅこう)」を売って財を成したと言われています。
その目薬の販売に貢献したのがこの御師のもつネットワークでした。
先述のように、広峯神社は長い歴史を持つ神社で、その信徒は播磨だけでなく西日本に広く存在していました。 目薬を御師の販売ラインナップに加えてもらったことで、巨大なマーケットと広峯神社の御利益というプレミアを手にすることができ、黒田家の目薬は生産が間に合わないくらい売れに売れたそうです。
目薬の売り上げで、流れ者だった黒田家は有力豪族へと成長し、やがて当時姫路を治めていた御着小寺家に召し抱えられることになりました。
そうした意味では、ここ広峯神社は姫路での黒田家、並びに黒田官兵衛の原点と言っても過言ではありません。

現在、広峰山では目薬の販売はされていないのですが、夏でもさわやかな風が吹く広峰山で、神社の長い歴史や黒田家に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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