せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石藩の舞子砲台跡をたずねて

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こんにちは。玄蕃允です。

明石藩の舞子砲台跡を見に行きました。明石海峡大橋の袂にあり、明石海峡・淡路島が一望でき、とても気持ちいいです。山陽電車・舞子公園駅から南にすぐのところにあります。

舞子砲台跡


この舞子砲台ですが、幕末の1863年(文久3年)に将軍の徳川家茂が大阪湾の海防状況を視察し、砲台を拡充するように明石藩に命じ、築造されました。



 

明石藩へは一万両が貸与され、工事は勝海舟により指導されます。工事は1年~2年かかったようです。

こういった施設は「台場」と呼ばれますが、東京のお台場など地名として今でも残っているところがあるようですね。

対岸の淡路島側では徳島藩により松帆台場が築かれ(淡路島は徳島の領地でした)、明石海峡を通過する外国船をはさみうちにしようとの計画でした。明石海峡は大阪湾の玄関口なので、ここを破られると天下の台所・大阪、天皇のいる京都に入られるので責任重大ですね。

大砲のレプリカ
 

ちなみに大砲のレプリカが置いてありますが、悲しいことに舞子砲台では砲弾庫・火薬庫・兵舎等の施設は建設されず、実際には大砲も据えられなかったようです。せっかく造ったのに・・・

明石海峡大橋と通過する船舶
 

 ちょうど目の前を船が通過していきます。目と鼻の先ですね。

明石藩では、鎖国の終わりとなった日米和親条約(1854年)以前は3箇所の台場が築造されていました。1854年にロシアのプチャーチン率いる艦隊が開国を要求して、簡単に大阪湾に入ったことから、幕府による大阪湾防衛の計画が決められ、周辺の諸藩に対して海防強化を命じます。これを受けて、1862年に新たに9箇所の台場を築造したそうです。

明石藩はそれほど大きな藩ではないので、このような責任重大の海防を任され、大変だったでしょうね。

ぜひ幕末の明石の面影を追って、舞子砲台跡と絶景の明石海峡大橋に足を運んでみてください。

  
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