せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

海へ行った山の名残

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軽暑の候、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

神戸と言えば、港町。
海沿いにはポートアイランドや六甲アイランド、神戸空港など、多数の人工島や埠頭が築かれています。
さて、これらを作ったときに使われた土砂がどこからきたものか、みなさんはご存知ですか?

実は、西神の山から運ばれてきたものなのです。
山を削って団地を造成し、発生した土砂を埋め立てに使って海にも土地を造成するという一粒で二度美味しいとでもいうべきこの事業は、当時としてはかなり画期的なもので、「山、海へ行く」と謳われました。
今回は、”海へ行った山”の名残を求めて、須磨を歩いてみたいと思います。

須磨浦を望む

山陽須磨駅から須磨海岸へ出て西側を眺めると、白砂青松の須磨海岸が続き鉢伏山がそびえています。
小さいのですが、山の中腹には須磨浦ロープウェイの姿も見えました。

コンクリートの土台

ハマヒルガオの咲く海岸を歩いていると、姿を現したのが白いコンクリートの土台のような建造物。
海に遊びに来た少年たちの自転車置き場になっているこれは…?

ベルトコンベヤ

実は、これ、西神丘陵で採取した土砂を船に積み込むために運んでいたベルトコンベヤの跡なのです。比較的最近まであったので、「見たことある!」という方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、このコンクリートの部分には機械室があったそうです。

このベルトコンベヤは昭和39(1964)年に建設され、高倉団地を最初に横尾団地、名谷団地…と西神の団地の造成で発生した土砂を平成17(2005)年まで運び続けました。
最終的には14.5kmもの長さになったそうで、幅4~5mのトンネルが須磨海岸から西区の神戸複合産業団地へと伸び、文字通り、神戸市の西部を縦断していました。

初夏の海

土砂を船に積み込んでいた須磨船積桟橋はベルトコンベヤの稼働停止の後に撤去され、今は須磨浦の海が穏やかに広がるのみです。
もし今もここに巨大な構造物があれば、先ほどのような須磨浦の美しい景色は見ることができなかったでしょう。しかし、神戸の歴史の中にベルトコンベヤの存在があったことは確かです。釣りや海水浴などレジャーの合間に、今の神戸の街を築き、ひっそりと消えていったベルトコンベヤに思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

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