せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

魚住の住吉神社へ

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薫風の頃、皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

ちょっと間が空いてしまいましたが、魚住編、実はまだ続いています。

茨木酒造から山陽魚住駅の方へ歩いていくと、見えてきたのは鬱蒼とした森。
なんと雄略天皇8(464)年の創建と伝えられる、長い歴史を持った住吉神社の森です。

藤棚

境内に入ると立派な藤棚が。
私が訪れた時は少し早いようだったのですが、今ではかなり見頃になっているそうです。

この藤は祓除の藤(はらいのふじ)と呼ばれていて、この神社の御神木とされています。御神木に藤とは、何だか珍しいですね。
摂津国に鎮祭されていた住吉大神のお告げで海に流した藤の枝が流れ着いたこの地に社を建てたのがこの住吉神社の始まりであるという伝承があり、それに基づいて明治時代に氏子総代が寄進したのがこの藤だそうです。

能舞台

境内を進んでいくと、本殿と向かい合うような建物が現れました。
こちらは能舞台で、明石市内で能舞台が残っているのはここだけだそうです。
寛永4(1627)年に初代明石城主・小笠原忠政が建立したものとされ、明石市の文化財に指定されています。

海からの参道

住吉神社を訪れたら是非ご覧いただきたいのが、この景色。
本殿からの参道はまっすぐ南西へ伸び、鳥居の向こうには播磨灘が広がります。
住吉大神は海の神・航海の神とされています。陸側ではなく海側が表参道になっているとは、海から参拝しに訪れる人々を意識したものでしょうか。
明るい日差しに輝く播磨灘をしばし眺めてから、山陽電車で魚住を後にすることにしました。



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