せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

須磨寺公園に「新吉野」の面影を求めて(前編)

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春暖の候、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

最近、日ごとに春めいてきて、そろそろ桜の季節ですね。
桜と言えば、大和の吉野山が一大名所ですが、山陽電車の沿線にも「新吉野」なる桜の名所がかつてありました。

須磨寺公園

その「新吉野」こと須磨寺遊園地があったのが、今の須磨寺公園です。
今では大池の畔の静かな公園なのですが、かつては、桜の木だけでなく様々な遊戯施設があり、一大レジャーパークになっていたそうです。

ここが須磨寺遊園地の跡?

大池に張り出すようにだだっ広い広場がありました。ここが須磨寺遊園地の跡かと思ったのですが、ここは遊園地がなくなった後に池を埋め立ててできた広場とのことです。

今は静かな遊園地跡

明治の中頃、荒れ果てていた須磨寺に観光客を誘致しようと、当時の住職が木や花を植え、茶屋を開いたのが須磨寺遊園地の始まりと言われています。さらに、住職に賛同した須磨の神田兵右衛門なる人物が寄付を募って桜の木を植え、大池の畔に千本もの桜が咲き誇る「新吉野」が生まれました。

明治末期には兵庫から路線を伸ばしてきた兵庫電気軌道(後の山陽電車)が 須磨寺から土地を借りて遊戯施設などを次々とオープンさせ、遊園地を整備していきました。園内には動物園、ボート乗り場、花人形館などが設けられ、花の季節には大変な賑わいだったと言われています。

須磨の人々の憩いの場だった須磨寺遊園地ですが、昭和恐慌の影響で催し物の縮小が行われ、太平洋戦争の開戦で戦時徴用工の宿舎用地となったことで姿を消しました。

今では遊園地の跡に残る桜に当時の賑わいを偲ぶのみです。

一目千本の桜


私が訪れた時は、まだ花見には早いようでしたが、日当たりのいい場所にある木では八分程度咲いていました。
今週末にはちょうど見ごろになりそうですね。
満開の花を眺めながら昔日の「一目千本」に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

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