せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石 ~武家屋敷の発掘調査をたずねて~ 前編

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こんにちは 初投稿になります、平部員の玄蕃允(げんばのじょう)です。

明石駅前の再開発が進もうとしていますが、建設前に発掘調査が行われていて、特別に見学させていただきました。役得です。

発掘の光景


場所は山陽明石駅から南東すぐのところです。

文久年間(1861年~1863年)の地図を見ると、80石取りの「向井」家という中級武士のお宅だったそうです。ちなみに1石は大体大人1人が1年間に食べる量で、1石=100升=約180キログラムです。80石といっても全国的な例を見ればその4割が家の収入となります。さらに藩財政が厳しくなれば、その半分をカットされる藩もあり、いつの世も家計は大変だったのではないでしょうか。

明石の武家屋敷の特徴としては、非常に海抜の低い地域にあったことで、水害に悩まされたようです。塩分が多いので、井戸もかなり深く掘っていたことが分かったそうです。 

地層を記録
 

掘り進めていくと地層が違っていくのが分かります。

「これは古墳時代、これは中世の地層・・・」なんて説明されたら少しロマンを感じてしまいますね。 

漆塗りのお椀が出てきました
 

出土する御椀の善し悪しで身分も分かってしまうようです。

普段から少し奮発していい食器を使っていたほうが、何百年後かに自分の家の辺りが発掘されてしまった場合、見栄を張れるかもしれません・・・ 

ぽこぽこと穴が・・・
 

ところどころに穴を掘って何をしているのだろう・・・と疑問に思いますが、礎石や柱があったところです。段々と掘り進めていく内に、この部分だけ地質が違うので分かります。地質が違うのは屋敷を建設した際に、人工的に地面を掘っているためです。 

こんなものがでてきました(出土品の一部)
 

この後には、家老の屋敷跡などを訪ねましたが、後日紹介できればと思います。
発掘調査も実際に見てみると面白いですね。

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