せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

【開催間近】三ツ山大祭を学ぶべし(後編)

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県立歴史博物館を訪れたその足で向かったのが、三ツ山大祭の会場となる播磨国総社こと射楯兵主(いたてひょうず)神社

現在、三つの置山が建造中です。

建設中の置山(左から二色山、五色山、小袖山)※写真は2月上旬のものです。
ふたたび旗頭を掲げる3人。
大きさに圧倒されます。


今は骨組みだけで何がなんやらですが、東から「二色山」「五色山」「小袖山」になるようです。博物館で学んだ内容では、この並びはそれぞれの山を祭っていた国府寺(こおでら)宿(しゅく)福中(ふくなか)の三村の地理的な並びと一致するとのこと。三村は池田輝政の姫路城築城の際に城下町用地となって消滅しましたが、三ツ山大祭は近世に入ってもこの村の単位を用いて執り行われていました。


上の写真で参道の右が二色山、播磨国の大小の明神を迎える山とのこと。白と浅葱の二色で、富士山を模したと言われています。確かに、博物館で見た「播磨国総社三ツ山祭礼図屏風」ではもっと富士山ぽい姿でした。そのせいか、この山の飾り人形は「富士の仁田四郎の猪退治」です。

左が五色山、九所御霊を迎えるそうです。ちなみに、九所御霊とは少彦名命、大山祇神、経津主神、菅原道真、大物主神、猿田彦神、柿本人麻呂、誉田別命、大鷦鷯命の九柱を指すと言われています。飾り人形は「大江山の源頼光の鬼退治」です。

左端にちょこっと見えるのが小袖山、天神地祇(天つ神・国つ神)を迎える山で、町方から集めた小袖を張り付けるそうです。当時の町方たちは我こそはと提供する小袖の美しさを競ったのかもしれません。飾り人形は「三上山の俵藤太の蜈蚣退治」です。

大祭の期間中は毎日、この山の上に設けられた山上殿で神事が行われるそうで、博物館の展示によると山の中に階段が設けられるみたいです。高さは18メートルとビルの3階か4階に相当し、そんなところへ命綱なしで上るなんて想像しただけで足がすくみますが、一度は上ってみたいような気もします。

境内を歩いていると、こんな石碑を見つけました。


三つの置山を祭っていた村のうち、国府寺村と福中村は今も「国府寺町」「福中町」となって地名を残しています。この石碑は国府寺町の人が寄進したのでしょうか。

近代以後、置山を祭っていた三村の区分はなくなり、山に併設されていた能舞台も戦後には造られなくなりました。そうして時代とともに変化していった三ツ山大祭ですが、その伝統は脈々と現代へ続いています。

この春は、華やかな平成の三ツ山大祭の向こうに、長い歴史へ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

ブログをご覧の皆様、是非三ツ山大祭へお越しください。

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